前日の天気予報では降雨予報でしたが、2023年12月12日に日邦観光ツアーで鳥ノ胸山(トンノムネヤマ)に登ってきました。
日邦観光から出発を1時間遅らせるとの連絡が前日にありました。天気の回復を期待してのものでしたが、当りました。
出発地の「道の駅どうし」に着いた時は雨が上がり雲間に青空が見えてきました。
「道の駅どうし」に道志村総合案内図が設置されていました。
その案内図に鳥ノ胸山へのコースが記載されていました。
地図は北が上という固定観念からすると鳥ノ胸山は道志山塊にあると錯覚します。
「新ハイキング誌」では道志山塊として下記の図(1997年7月発行、新ハイキング別冊4号)が示されています。おや、鳥ノ胸山がこの図に載っていません。
道志村総合案内図は南北が上下反対になっていました。図を逆さまにすると下記になります。
それにしても道志村の村域からして「新ハイキング誌」の "道志山塊" との名づけは不可解です。どうして "丹沢山地北部" ではないのでしょうか。
注:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』では ↓
「道志山塊とは、山梨県南東部に広がる山塊。御坂山地と丹沢山地との中間に位置し、広義には丹沢山地に含まれる。富士山の北東、桂川と道志川に挟まれた地域に広がる標高1,000メートル前後の峰が東西に連なる。」
昭文社の登山地図の「高尾」図幅と「丹沢」図幅を比べてみます。上が「高尾」、下が「丹沢」です。
鳥ノ胸山の記載は下記の通りです。。上が「高尾」、下が「丹沢」です。
「高尾」図幅ではコースタイムが示されていません。昭文社では道志村の山々は丹沢山地との認識なのだと思います。
話が逸れてしまいました。鳥ノ胸山付近の地形図をYAMAPで取り出したのが下記です。
YAMAPで記録した軌跡は次の通りです。
コースから外れた軌跡がありますが、私の前を下山していた女性がコースを外れたように思い、後を追ったからです。
外れたルートは林道でした。YAMAPの記録を見ると13:28に外れ、13:32に追いつき、13:36にコースに戻っています。
このようなことが分かるYAMAPは優れています。プレミアム会員に登録しようと思います。
活動データ、ポイント通過タイムは下記の通りです。
行動時間は3時間3分、内、休憩が36分、コース外れが8分です。距離は5.9km、高低差は上り576m、下り574mでした。上りが1時間21分、コース外れを除いた下りが50分となります。
コースタイムは平均ペースより150~170%早かったようです。最も高かった時で188%、低かった時で126%でした。このようなことも分かるのですね。
距離断面と時間断面は下記の通りです。横に這っているような線はペースです。(右目盛り、単位:%)
さてさて、撮った写真を載せます。先ずは山頂からの富士山眺望です。着いた時は富士山は見えませんでした。昼食を終えたころ、富士山の頭が見えました。山頂で富士山が姿を表すのを待ちました。休憩時間が長かった理由はそれです。
次の写真は中腹で見た露頭です。近寄ってみると石英と鉱物結晶が確認されました。花崗岩類(ミカゲ石)の花崗閃緑岩だと判断しました。
鳥ノ胸山が丹沢山地に属するということは地質も丹沢の地質ということになります。
丹沢が伊豆半島と同様に南の海からきたというのをご存知の方も多いでしょう
2022年1月19日に登った
シダンゴ山のページに丹沢山地の地質に触れています。
丹沢地域の地質を20万分の1日本シームレス地質図で調べると、この地域の地質は玉ねぎ状で、中心部の朱色に塗られた地質は花崗閃緑岩・トーナル岩からなる深成岩です。
紫色や朱色を取り囲むように外側の緑色に塗られているのは玄武岩質火山岩類が分布しています。これらの玄武岩質火山岩類は付加体にあたります。
「南の海からきた丹沢」(1991年12月発行)の表紙に丹沢や伊豆半島の地質図が載っています。
地質図の右上が道志村付近です。
そこを切りとったのが次の図です。道志川の南北で地質の違いが示されています。道志川は断層に沿って浸食を受けた谷と思われます。
丹沢山地の地質については次のように記されています。
丹沢山地は南部フォッサマグナの隆起帯の一つです。しかし、丹沢山地だけの特徴もあります。それは丹沢山地の内部の地層の配置が、大きな饅頭を水平に輪切りにしたような分布をしていることです。その中心部の「あんこ」にあたるところが石英閃緑岩です、
上図に示されている通り、桂川と道志川に挟まれた地域に広がる標高1,000メートル前後の峰が東西に連なる "道志山塊" と称される山塊は丹沢の "大山" と同じ地層帯(丹沢層群中部の大山亜層群)になります。したがって、 "丹沢山地北部" と呼ぶのが適切だと思います。
もう一度、日本シームレス地質図を見てみましょう。
鳥ノ胸山の付近は朱色で、記号N3_pim_a、花崗閃緑岩・トーナル岩、島弧・大陸で新生代第三紀中新世メッシニアん記~鮮新世に形成された地質と表示されています。
フィリッピン海プレートでマグマが地下深くで固まり日本列島に衝突してできた地質であることを示しています。丹沢の衝突は約600万年前~400万年前頃と考えられています。
石英閃緑岩と花崗閃緑岩はともに深成岩で見分けるのはとても難しいです。
火成岩を見分けるのは大変難しいですね。マグマの粘性や鉱物の割合、結晶化の有無(深い所でゆっくり冷えると結晶化し、地上やその近くで急冷すると結晶化しません)などで区分され名称が付いています。
石英閃緑岩 <角閃石を含むミカゲ石>
花崗閃緑岩 <黒雲母と白雲母を含むミカゲ石>
おまけ
ティップネス仲間が撮った写真です。
2023年12月6日に表題の惣岳山~岩茸石山~高水山、いわゆる「高水三山」をティップネス仲間と歩きました。
我が家から遠くはないので、この山域に幾度か歩いています。
「松浦本」と言われる新ハイキング社発行の "静かな尾根歩き" や "バリエーションルートを楽しむ" のコースを2000年代後半から2010年代に、この山域を歩いています。
例えば下図では、岩岳石山~黒山、上成木~高水山、成木川~岩岳石山、成木川~黒山、馬仏山~川井駅、黒山~小沢峠などです。
2015年には、惣岳山~岩茸石山~黒山~棒ノ折山を計画しました。しかし、雨のため岩茸石山から先の黒山に向かわず、高水山に変更し軍畑に下り、心ならずも「高水三山」を歩きました。
所属していた山の会でも直近では、2021年に「高水三山」の計画がありましたが参加していません。
参加したのは2010年に忘年山行として「高水三山」が実施された時です。コースは軍畑駅から御嶽駅と、今回とは逆コースでした。忘年会場は御嶽駅に近い「ままごとや」でした。
さて、今回は御嶽駅に09:45に下車し、軍畑駅から15:46に乗車しました、
行動時間は5時間24分、内、昼食等の休憩時間が53分、約4時間半の歩行時間でした。
コースタイムは下記の通りです。
行動軌跡は次の通りです。
距離、時間断面は下記の通りです。
写真は岩茸石山で棒ノ折山の方面の眺望を撮っただけでした。
この山頂で棒ノ折山はどれかと、よく聞かれます。
しかし、指し示すのが難しいのです。川苔山は難なくわかります。目印は鉄塔です。幾つも連なっています。
御嶽駅から登り始めて30分の所に送電線「新秩父線」の31号鉄塔があります。そこから真名井北稜に送電線「新秩父線」が延びています。この鉄塔が山を越すのが日向沢ノ峰の右です。
(ちなみに下図では、真名井北稜~川苔山はもちろん、大丹波川~川苔山、赤杭尾根~川苔山なども走破しています。)
この山を越す手前の鉄塔(「新秩父線」49号)から左が日向沢ノ峰、さらに左が川苔山です。
では右はというと長尾ノ丸(958m)というピークがあります。さらに右奥は有間山(1214m)から蕨山(1044m)に続く稜線があります。棒ノ折山(969m)は稜線の手前ですが見分けるのが難しいのです。
我が家は西武池袋線の駅が最寄り駅です。近場と言えば池袋線から繋がる西武秩父線ですが、最寄駅からJR青梅線の河辺駅までバス路線があります。河辺駅まで40分かかりますが、所沢駅、東村山駅、小川駅と乗換で拝島駅にでて青梅線に乗るよりもバス利用の方が楽です。
奥多摩方面の山へは、いつもバスを利用し青梅線に乗っています。
今日も08:22のパスに乗り御嶽駅に行きました。所要時間は1時間22分でした。帰りは軍畑駅15:46の電車にのり最寄り駅まで所要時間は1時間9分でした。ただ、バス本数が少ないのが難点です。
2023年11月29日、西武グリーンツアーに参加してきました。一番の目的は紅葉でした。高崎の徳明園の紅葉に満足しました。
10月1日から約2ヶ月にわたる2023年の紅葉めぐりはこれでお終いとします。
大雪高原の紅葉
照葉峡の紅葉
森吉山の紅葉
奥入瀬渓流の紅葉
蔦沼の紅葉
今回は紅葉の写真だけとし、レポート・コメントは書きません。
カメラは一眼レフではなく、LUMIX コンパクトカメラです。
2023年11月19日に日曜地学ハイキングに参加しました。久しぶりの地ハイ参加です。表題は今回(556回)地ハイのタイトルです。
集合時間は10:05でしたが、八高線利用の私は09:31に着きました。既に地団研埼玉支部の方々が揃われていました。その中の一人が私より9歳上の重鎮のK氏です。「生きていたか」と声を掛けられました。登山にも関わらず、K氏が元気に参加されておられるのが嬉しかったですね。
そのほかの埼玉支部の方々は私より平均で10歳ほど若いと思います。参加人数は埼玉支部の方が10名、日曜地学の会の会員が約20名です。埼玉支部の方は皆が顔見知りですが、日曜地学の会の会員の中には顔見知りが誰もいませんでした。
コロナ前は会員の中に少なくとも数名は顔見知りの方がおられて、中には20年以上前から顔見知りの方もおられましたが、今回、顔見知りが皆無なのは寂しく感じました。
全員が揃いバスに乗り、"うめのその梅の駅" に行き、そこでコース説明や案内者紹介がありました。5人ずつ6班に分かれ歩きます。私は隊長H氏の1班でK氏も1班でした。K氏のすぐ後ろを歩きました。
さて、今回のコースは、連絡ハガキに「大高取山は御荷鉾緑色岩類とチャートからなる柏木ユニット、泥岩・砂岩からなる上吉田ユニットの三段重ね構造をしています。山道には石灰岩も露出しており、これらを確かめながら登山をします。また、山城である高取城跡や石仏も訪ねます」とありました。
産総研の日本地質図で①御荷鉾緑色岩類、②チャート、③泥岩・砂岩の表層地質の分布を見てみると以下の通りでした。これが三段重ねの地層だと分かります。しかし、この地質図だけではどの層が上位で、どの層が下位かは分かりません。
一番広い範囲を示す緑色部分はK122-Pg12_mbs_hc記号、次に広いオレンジ色部分はC13-J1_soh_J1記号、越生町と書かれた上の灰青色部分はJ1-22_sx_J1記号が付されていました。
下記にその記号の内容を示します。岩相は緑色部分が変成玄武岩、オレンジ色部分がチャート、灰青色部分は混在岩と書かれています。いずれも中期ジュラ紀付加体とあります。
次に今回の案内者の関東山地研究グループが作成された詳細な地質図があります。これに今回の観察コースが書かれたのが下記の地質図です。
説明資料に大高取山周辺の地質の概略が次のように書かれていました。
説明資料に土台の地層の緑色岩が新しい地層で、最上段の地層が石灰岩やチャートの岩塊を含む砂岩や泥岩の地層で古い地層とあります。
三段重ねの地層の年代は1億5千万年~1億7千万年と書かれています。
また、新しい地層の上に古い地層がのし上げた大変動は、中生代末の恐竜絶滅とほぼ同じ時期に起ったと考えられますとあります。
1億5千万年~1億5千万年は、産総研の日本地質図に記されている中期ジュラ紀付加体に当ります。
ウィキペディアによると「中期ジュラ紀(Middle Jurassic)は、中生代のジュラ紀を三分したうちの2番目の地質時代。1億7410万年前±100万年から約1億6350万年前±100万年にあたり、古い順からアーレニアン期・バッジョシアン期・バトニアン期・カロビアン期に分けられる。」とあります。
土台の緑色岩(詳細な地質図の暗緑色部分)を、産総研の日本地質図には「変成玄武岩」と書かれてあります。この緑色岩はミカブ緑色岩と呼ばれておりミカブ帯で三波川帯の最上部に重なる地層です。
変成とは海底火山で噴出した溶岩(玄武岩等)や火山灰などが、その後、地下深くで高い圧力と熱で変化したことを示しています。変成を受けた年代は8500万年前~6000万年前(中生代前期白亜紀後半から後期白亜紀)だそうです。
中段の地層は秩父北帯の柏木ユニット層のチャートの地層(詳細な地質図のオレンジ色部分)で、珪質凝灰岩や石灰岩なども混在していましした。
石灰岩は「白石様」と呼ばれ信仰の対象だったそうでずが、石材として切り出された跡がありました。形成時代は古生代ペルム紀だそうです。
関東山地研究グループにチャートの放散虫化石を専門的に研究された方が、この地層帯の泥岩から放散虫化石を取り出され、その年代を古生代ペルム紀~中生代トリアス記だと説明されました。
最上段の地層は秩父北帯の上吉田ユニット層で中生代ジュラ紀中期の地層で主に泥岩と砂岩の地層(詳細な地質図の青色部分)です。観察ポイント2では大きさ1mほどの石灰岩の岩塊がいくつか現れていました。
石灰岩の中の有孔虫化石の種類から約3億年前の古生代石炭紀に形成されたことが分かっているそうです。
玄武岩質凝灰岩などもこの上吉田ユニット層で見られるそうです。
これらの混在岩の成り立ちが「越生の自然」に次のように説明されています。
大高取山の三段重ねの地層
パンフレットにあった地質年代表(出展「越生の自然」)を転載します。
パンフレットには各観察ポイントの説明が書かれていますが、それらを転載することは避けます。
今回もYAMAPを起動させましたが、開始したのは観察ポイント1の円通寺を通り過ぎてからでした。
また、スマホのバッテリーが切れかかり観察ポイント5のチャートの箇所で終了させ、スマホのスイッチを切りました。
コースタイムは、越生駅着09:31、集合10:05、黒山行き10:18発バス乗車、10:35小杉バス停で下車、うめのその梅の駅でコース説明の後に出発(10:50頃)、観察ポイント1円通寺(~11:00頃)、観察ポイント2石炭紀石灰岩(~11:30頃)、観察ポイント3大高取山で眺望ならびに昼食(12:06~12:49)、観察ポイント4白石様(13:06~13:37)、観察ポイント5チャート(13:49~13:54)、観察ポイント6ミカブ緑色岩(~14:20)、観察ポイント7高取城跡(~14:50)、越生神社(15:00~15:10頃)、越生駅(15:20頃)解散、八高線乗車16:12
YAMAPの軌跡
YAMAPの距離
YAMAPの時間
2023年11月14日に群馬の十二ヶ岳に登りました。ほぼ東西方向に連なる十二ケ岳、中ノ岳、小野子山の3ピークは、かって富士山のような一つの円錐型の火山を形成していたと考えられています。
今日と同様に日邦観光バスツアーで2022年5月25日に
小野子山に登っています。
また、小野子山、中ノ岳、十二ケ岳の3山縦走を2002年11月23日に私がリーダーとなって実施しています。
それ以前は1999年11月27~28日の
小野子火山の地学観察で登っています。
日邦観光バスは武蔵藤沢を8時前に出発し、途中、上里SAとおのこ道の駅でトイレ休憩し、10:17に十二ヶ岳登山口駐車場に着きました。
今日のコース図をバス車内で貰いました。入道坊主までは林道を歩き、そこからは急坂が待っています。上りは男坂、下りは女坂を使います。
標高600mの駐車場から山頂へはずっ~と登りが続きます。登りだす前にYAMAPを起動と開始を押しました。
前日は木枯らし1号が吹いたとのニュースが報じられました。この日の予報も気温が低く風も強いとの予報でしたが北風は十二ヶ岳に遮られ、陽が照り気温はぐんぐん上昇しマウンテンパーカーを脱ぎ、下着とシャツ一枚の服装で十分でした。
山の天気の予報では9時はCランク、12時はBランク、15時はAランクでしたが気温も風も予報が外れています。
入道坊主の先からは急坂が続きます。周りはスギ林でした。陽が遮られますが暖かく、汗びっしょりになりました。
山頂は360度の展望が開けています。山名標が設置してあります。
山頂からの眺望を楽しみ、カメラに納めました。
次の写真は谷川岳方面です。11:45と記録されています。山頂到着はその1~2分前でしょう。
撮った写真から谷川岳の部分を切り取ったのが次の写真です。日本海側は雲が張り出し谷川岳山頂部を覆っていました。
カメラを左に振ると仙ノ倉山から白砂山へと山並みが続いています。
さらに左に振ると草津白根山から四阿山の山並みが連なってます。
その山並みの奥に北アルプスが望めました。そこを切り取ったのが次の写真です。
さらに左には蓼科山~赤岳の八ヶ岳連峰も眺められました。
正午ころに昼食を済ませ、眺望をもう一度楽しみました。雲が張り出していた雲も少し小さくなり、北アルプス槍ヶ岳が望めました。
かれこれ40分も山頂部に居たでしょうか。下着とシャツ一枚の服装の写真を撮ってもらいました。12:23と記録されています。山頂を離れたのはその1~2分後でしょうか。
下りは写真を撮りながら歩きました。標高900m付近からスギ林の中に広葉樹が見られ紅葉しているのが観察できました。
紅葉の写真を載せます。下るほどに紅葉が多く見られました。
途中、火山の荒々しさを示す岩壁がありました。
入道坊主の岩脈には広葉樹が空高く伸びていました。
林道に降りました。林道には落葉が敷き詰められていました。次の写真は13:21に撮りました。林道の中ほどでした。
林道を下ると左手の対岸の溶岩と下層の不整合箇所に幅1mにも満たない小さな洞が観察されました。さして重要とは考えず写真を撮りませんでしたが、急冷した溶岩の下限でした。大きな洞であれば撮ったはずです。小さくても駐車場へ急がず写真を撮るべきでした。
バスが待つ駐車場に着いたのは13:32だったと思います。直ぐに汗びっしょりの下着とシャツを着替えました。
YAMAPを切るのを忘れていました。下山したのは13:32だと思います。
みんな早く戻って私は遅い方でした。15時に出発予定のバスですが、13時50分前に出発しました。
YAMAPの終了を押したのはバスが市街地に降りてからでした。
その夜、軌跡を修正しようとして、間違って活動データを消して保存してしまいました。
次の図の上が保存されてしまった活動データ、下は正しく修正した活動データです。
登山口出発10:20 上り 1時間24分
山頂到着 11:44 眺望・昼食休憩 41分
山頂離発 12:25 下り 1時間7分
登山口到着13:32
軌跡は次の通りです。
下山したら真っ先にYAMAPを切ることを忘れないようにしなくてはなりません。
おまけ
2002年11月23日の写真
小野子火山の三山
群馬県中央部には、更新世中期(50万年前)にほぼ同時に活動開始を行った赤城火山、榛名火山、子持火山、小野子火山が存在します。
気象庁に活火山に認定されている赤城火山、榛名火山に対し、子持火山、小野子火山は約20万年前に活動を終えています。
子持山には2000年10月21日と2022年10月25日に登っています。