9日目(現地8日目)は、パムッカレで石灰棚やヒエラポリス遺跡を見学した後、世界遺産エフェソス遺跡を見学、その後、イズミール市へ向かい宿泊しました。
パムッカレの石灰棚については、「トルコの旅15日間 8 クサントス&パムッカレ」で紹介した通りです。
この項は、エフェソス遺跡を紹介します。
正直、この旅に参加する前は、ギリシャ文明やローマ文明には興味がありませんでした。したがって、ギリシャやイタリアは旅しようという気がありませんでした。実はトルコも旅しようとは思っていませんでした。
その訳は高校時代に社会科で世界史を選択しませんでした。つまり世界史については全く習っていないことにあります。ちなみに理科では地学を選択しませんでした。
今回の旅は、「黄金のアフガニスタン展」に触発されて西アジアの一角で治安が良いトルコの先史時代、現代文明の基層となったアナトリアを訪れてみたいという動機でツアーに参加しました。
トルコの歴史のヘレニズム文明やローマ文明、ビザンツ文明の遺跡やオスマン帝国時代の遺跡はおまけの感覚でした。
今は違います。エフェソス遺跡の壮大な遺構や彫像などの遺物に感動しました。
前置きが長くなりました。エフェソス遺跡を紹介することにします。
7日目(6月21日)からトルコを覆ったアフリカからの熱波は依然として勢力を保ったままです。
エフェソス遺跡は南の入り口から北の出口まで一方通行です。この日はさほど観光客が多くはないとガイドさんが離されましたが、そうは言っても人気の遺跡ですから人がまばらなわけではありません。写真になるべく人が写りこまないように撮りました。
下記に示す写真も一方通行路に沿って載せてあります。
入口を入ってすぐに目にとび込むのが「オデオン」です。競技場かと思いましたが、オデオンとは議会棟だという説明でした。木製の屋根に覆われていたのではないかと推測されています。約2000人が参加したと計算されるそうです。
「パシリカ」の前の通りです。パシリカとはショッピングセンターということです。
「メミウスの記念碑」です。説明は忘れました。
「メルクリウス神」。これも説明を全く覚えていません。
修復中の遺構
勝利の女神「ニケのレリーフ」
「メミウスの記念碑」、さきほどとは別の角度から。
「クレテス通り」
クレテス通りの彫像
「ヘラクレスの門」
「トラヤヌスの泉」
クレテス通りの歩道。これは立派です。素晴らしい。
「ハドリアヌス神殿」のアーチ
ハドリアヌス神殿のアーチのアップ
ハドリアヌス神殿のアーチのアップ
ハドリアヌス神殿の横の通り
「公共トイレ」
公共トイレの復元
クレオパトラの妹「アルシノア」の墓の銘板
大理石の道。写真を撮った意図は、下水構の蓋。今は鉄板です。
大理石の道。鉄板が点々とあります。この通りの下に下水溝があります。浴場や公共トイレの排水がキチンと処理されていたのですね。中世のヨーロッパより見事です。(中世のヨーロッパでは道に垂れ流しだったと若い頃に読んだ本に書いてありました。)
当時のままの大理石の下水溝の蓋
大理石の道に彫られた娼館の位置を示す表示(広告)。左足は前方の左にあることを示しているそうです。
左足の右は娼婦の絵、左上はハート、つまり愛を表すらしいですが、売買春が愛とはね?
「ケルススの図書館」
修復されたものです。
何だったか?思い出せません。
「アゴラ」。商業施設という説明でした。野外市場あるいは荷捌き広場か、
大理石の道。大劇場前付近だっと思う。
大劇場の壁
アルカディアン通り
二重の教会の方向
大理石の通りの先の北へ延びる通り。大理石の通りの先
大劇場。オーケストラから観衆席を見上げる。
大劇場全景。
以上、エフェソス遺跡の簡単な紹介でした。
ガイドさんの説明をすべてしっかり聞き、それを思い出すのは無理ですね。メモをとる時間も全くありません。説明を聞きながら、あっちだ、こっちだという方向を見て、ただカメラのシャッターを押すだけでした。
トルコの旅15日間 10 トロイの真実 に進む。
トルコの旅15日間 目次 に戻る