第3日目はサフランブルに向かいます。ガイドさんは車中でトルコと日本の繋がりとして三つの事を話されました。一つは1890年に起きたエルトゥールル号遭難事件、二つ目は1985年のイラン・イラク戦争勃発時に日本人の救援のためトルコ政府が救援機を飛ばした事、そして三つ目が1999年のトルコ大地震と阪神大震災や東北大震災の相互援助の話でした。
この日、バスはブルサから、イズミット湾口部に建設されている「イズミット湾横断橋」が望める所に北上し、そこからはイスミット湾の最奥の街イズミットを通り、さらに東進しました。1999年のトルコ大地震の震源のコジャエリを通過していたのです。帰国して、ルートの確認とガイドさんの説明の復習に漏れがないか振り返り、やっと気づいたのでした。
で、グーグルマップで地形を確認しましょう。西から東へ3枚のグーグル地形図を載せます。
山地と平地の境が東西に走っていることに気づくでしょう。北アナトリア断層です。数年おきに大きな地震を起こしています。
1999年のトルコ大地震を起こした活断層は次のように発表されています。
高速道路はこの北アナトリア断層に並行して伸びています。一部高速道路上での事故の影響で旧道での峠越えがありましたが、高速道路を東進するバスは坂を上るでもなく坂を下るでもなくスイスイと走りました。
文献によるとアナトリアプレートはユーラシアプレートとアラビアプレートに挟まれ、この両プレートの圧縮から逃れるように西に動く運動をしているということです。ハンバーガーを上下に圧縮すると中身のハンバーグが外に飛び出すのと同様の原理ですね。
この横方向の動きによる力から北アナトリア断層は横ずれ断層のため、正断層や逆断層のように断層帯で上下に地形がずれて生じる高低差がないのです。
車窓の風景です。明るい黄色の屋根の棟並みは鶏舎だそうです。この当たりは鶏肉の出荷量が多い地域ということでした。
バスが高速道路を外れ北に向かいだすと、進路の先にちいさな山々が現れてきました。トンネルもありました。
山々を縫うように走るバスの横に大きな岩肌が現れる時もありました。
岩の下は深い渓谷になっているようです。
バスが徐々に下りだすと、前方の広い敷地の施設の中に黒々とした石が積みあがったようなものが一瞬見えました。それを通り過ぎると大きな製鉄所が現れました。
カラビュック製鉄所です。1939年、トルコ初の国営製鉄所が建設されたそうです。それ以前はサフランボルのヨーレベリ村に属するわずか13戸の小村だったいうのです。
この地域はトルコ最大の鉄鉱石の産地として知られ,製鉄・製鋼・化学工業が盛んで,火力発電所もあるそうです。大学もありました。
製鉄所を過ぎるとすぐにサフランブルの街に入ります。街の道路は狭小で、周囲の建物は相当に古そうでした。バスは街の広場のような所に停まりました。
下車して世界遺産のサフランブルの街を見学します。
サフランブルは、トルコの小京都とガイドブックにありましたが、むしろ日本でいえば合掌造りの五箇山のような所です。
オスマン帝国時代の古い街並みが残されています。木造民家の博物館を見学しました。
サフランボル旧市街には、多くの古い建築物が保存されていて、博物館のほかに、25のモスク、5つの霊園、8つの歴史的な噴水、5つのトルコ式浴場、3つの隊商宿(キャラバンサライ)、1つの歴史的な時計等、1つの日時計及び数百に上るイスラーム建築によって建設された住居があるとのことです。
博物館の上の高台からの街の眺めです。
バザールも見学しました。サフランのシャボンやコロンをお土産に買いました。サフランボルの名前の由来は、香料サフランの集積地として発展した歴史にあるそうです。
バザール近くの街路です。
泊まったホテルも古い民家を改良した建物で、一軒では収まらないため二軒に分宿です。
ホテル街の改装された街路です。
ホテル街から一本外れた街路はこうです。
いずれの街路も坂道になっています。世界遺産に登録されているサフランボル旧市街は、乾燥した峡谷に位置しており、街全体が窪地にある感じです。
街を取り囲む崖はこんな感じです。
崖から湧水があるため、このような水道施設があちこちにあります。
古い建物は日干しレンガや石積みで出来ています。日干しレンガにはワラのような草が入っていました。
古い民家を改装したホテルでは夕食はでません。近くのレストランで摂りました。
ホテルの中の部屋は狭いものの綺麗で趣がありました。
トルコの旅15日間 4 鉄の古代帝国へ に進む。
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