昨夏、広島の友人らと
「そうかえん」を一緒に観た後、池袋の飲食店でトムラウシ山に登ろうと云うことで計画が上がりました。
私の希望はトムラウシ山の北沼の亀甲状土をはじめとする構造土の観察で、残雪が少なく沼の水位が下がる8月下旬~9月上旬でした。日程は昨秋に決定、行程の計画は友人が立てました。
上の写真の亀甲状土(出典は「日本列島の20億年」;白尾元理著、岩波書店)は窪地に出来たものですが、稜線近くでも形成されます。
1998年に大雪山系を縦走したときに間宮岳近くや旭岳山頂の南東礫地でも亀甲状土が観られました。現在は立ち入り禁止になっているものと思います。
当時の写真はフィルムカメラでしたので印画紙のみで、探しても見つかりません。
以下は、山行紀
初日は層雲峡から黒岳を経て白雲岳避難小屋泊、2日目は白雲岳避難小屋からひさご沼避難小屋泊、3日目はトムラウシ山の登頂、ひさご沼避難小屋連泊、最終日はひさご沼避難小屋から天人峡に下る計画でした。
しかし、結論を先に書くと荒天でトムラウシ山の登頂断念、誠に残念!!!
2014/08/16は札幌への移動日、モンベルで食料等を調達、その夜は串揚げ店でトムラウシ山挑戦を記念して乾杯。
17日、晴れ時々曇り、札幌から旭川~層雲峡へ移動、ホテル大雪で早めの昼食(友人の予約済み)後、ロープウェイ・リフトを乗り継いで黒岳7合目、ここから黒岳へは昭文社地図の通り1時間半で一気に登りきる必要がありました。しかし、同行の一人が体調不良のため倍近く時間を要しました。白雲の小屋までは黒岳から3時間強、早発ちなら可能だが昼過ぎからの行動開始では白雲岳避難小屋まで行くのは無理、予定を変更し黒岳石室泊まりとなりました。
18日、曇り、先ず北海岳を目指す、ここから白雲岳分岐までは比較的平坦な高原(溶岩台地)の北海平、ここでは周氷河地形の構造土をたっぷり観察(後半に写真を掲載)、また見事な御倉沢溶岩も遠望できた。白雲岳分岐まで少し登り返し下ると白雲岳避難小屋に出た。昨夜の宿泊客は1人のみと云うことだった。昨日、ここまで来れたら良かったのに残念、広大な溶岩台地の高根ヶ原を歩く、白雲の小屋から忠別沼まで標準タイムで約3時間、標高は大凡1600~1800m、左(東)眼下の高原沼が見えなかったら飽きたはず、クマは出なかった。忠別沼から忠別山に登り返した。右(西)の崖はほぼ垂直に感じられた。忠別岳避難小屋まで一気に下った。この日の行動時間は10時間。
19日、曇りのち雨、この日は一気にトムラウシ山に登る予定だった。昨日と同様に5時半に小屋を発つ。快調に歩き五色岳を過ぎた。パラパラと小雨が降る中ハイマツ群生地を分けて歩く、7時過ぎに雨が強くなり合羽を身につけた。化雲岳を過ぎると雨は一層強くなる。ここで天人峡に下る手もあったが、翌日せめて北沼の亀甲状土だけでも見たい思いが消えず、この日はヒサゴ沼避難小屋に待避することにした。9時、無人の小屋に入った。その後、トムラウシ山登頂・南沼テント泊を諦めた登山客が続々と小屋に入り、正午までにほぼ満員となった。W大ワンゲル部員など殆どが若者であった。午後からは小屋避難者は無し。風雨は更に強くなった。
20日、風雨強し、稜線に直登するルートを選んだが(これが誤り)、道迷い、高原植物の群落や笹原を分け進むもハイマツやナナカマドの灌木に行く手を遮られ、右へ右へと回り込み、岩塊地へ出た。ここで後続の仲間を待つ、呼んでも叫んでも風雨に遮られ届かない。岩塊地をさらに進みんだ所でロープのある登山道に出た。ここから一旦ヒサゴ沼まで下った。登り返しヒサゴ沼分岐に出た先で仲間と合流、仲間は右に進み雪渓を下り、やはり沼まで出て登り返したという。合流したことで一同安心し、化雲岳から天人峡へのロングルートに向かう。小化雲岳を過ぎる頃から平坦な登山道は沼と化し、坂道は滝と化し、水流は集めて早くなり、所により脛まで浸かる。長靴を履いていた同行者も中まで濡れる状態、予定通りの時間で進めない。16時過ぎにやっと天人峡に下山した。ヒサゴ沼の小屋に泊まったうち天人峡に下ったのは我々以外はただ一人だった。テント組は野営場のあるトムラウシ温泉に下ったようである。
21日、晴れ、天人峡から送迎バスで旭川駅に、仲間と別れ空港へ行き、夕刻に無事帰宅しました。
それでは写真を掲載。
北海岳から望むお鉢平、このカルデラの形成時には火砕流が石狩川上流や忠別川上流一帯に噴出し、層雲峡や天人峡の熔結凝灰岩の柱状節理を形成したそうである。
この北海平からの風景、
チベット 青蔵鉄道の車窓から観た「永久凍土」の風景とよく似て、草地が縞々の階段状に見える。
スイス・トレッキングの旅 でも同じような草地を見ました。
近くに進んで観ると、やはり周氷河地形の階状土や線状土と云える。見事な構造土である。
(構造土については、
南ア 光岳~聖岳縦走の項に説明を記載)
氷点下になる季節の環境で溶融や凍結が繰り返され砂礫の大きさで分級され、砂泥地には草が植えるが礫地は草が植えず、草地と礫地に分かれる。この作用により、ソリフラクション・ローブやソイルウェッジ・ポリゴンが形成される。
北海平から望む白雲岳、見事な溶岩ドームである。近づくと岩塊の丘という感じである。ヒサゴ沼からトムラウシ山の稜線にかけて大小の溶岩ドームがある。大きな岩塊が重なり進むのが困難だった。
数千年前と新しい時期に形成されたという旭岳、同時期に層雲峡方面に流れ下った御倉沢溶岩、幅は400〜600m、全長は6kmに達する。奥の尖塔は烏帽子岳だろうか、これも見事な溶岩ドームである。
白雲岳分岐付近から見たトムラウシ山。手前の台地は高根ヶ原。
忠別岳、西側が切れ落ちている。旭岳山頂から西方に細長く開いた馬蹄形の谷、「地獄谷」は爆裂火口として知られているが、忠別岳や化雲岳に囲まれた谷も爆裂火口と思える。
溶岩台地の中の低い所には多くの沼や湿原が出来ている。下の写真は忠別沼である。
19日に雨が降る前に撮った写真は僅か、下は五色岳から下った所のお花畑。
五色岳から見たトムラウシ山、この時は登頂の思いが強かった。
こちらは20日に撮った只の一枚の写真。小化雲岳付近の雨中の草紅葉、大雪山系の秋は早い。
第二公園(かえん)、第一公園の湿原も見事でしたが、残念ながらカメラはビニール袋でくるみ、ポシェットに入れたままでした。
下の花の写真は主に18日に撮ったものです。
おまけ、忠別岳避難小屋の対岸に逃れたエゾシカ。
シマリスは何回か見ました。ナキウサギも黒岳直下の岩礫地で見ました。(黒岳も溶岩ドーム)
おまけのおまけ、黒岳山頂にて。
地質図